PICK UP

それぞれに個性的な名作揃いの中から、注目作をピックアップ!

『死の銀嶺』

(1929 ドイツ映画)
今回の特集では、レニ・リーフェンシュタールが主演し、アーノルド・ファンクが監督した映画が3本上映される。
山岳映画というジャンルを切り拓いた先駆者として有名なファンクは、女優レニ・リーフェンシュタールを“発見”した監督でもある。元々はダンサーだったレニを『聖山』で主演女優に抜擢し、実験的な表現、スポーツスキーのモダンな感覚、冬山登山の死を賭した緊迫感とメロドラマが混在した作品を作り上げて名声を確立。レニを主演に山岳を舞台にした映画を次々と作り、エンターテインメントとしての「山岳映画」の基本形を確立した。
一方のレニ・リーフェンシュタールはファンク作品の主演女優を務めながら映画の技術と人脈を得て、後にファンクから離れて映画作家となり、『意志の勝利』やオリンピック記録映画『民族の祭典』などを撮る。第二次世界大戦後はナチス協力者として批判されながら、写真家として「ヌバ」を出版して再起。さらには最高齢のスキューバ・ダイバーとして水中撮影にも情熱を傾け、2003年に101歳で逝去するまでエネルギッシュな活動を続けた。
1929年に制作された『死の銀嶺』は、日本でも大ヒットしてスキー・ブームを巻き起こしたファンク監督の代表作で、世界初の冬山航空撮影を行った映画だ。1930年代に入ると長編映画は本格的なトーキーの時代を迎えるが、本映画はその直前、サイレント映画の棹尾を飾る傑作と言える。
スイス・ベルニナアルプスの秀峰ピッツパリューが舞台。新婚夫婦の泊まる山小屋に、愛妻を遭難事故で山に奪われた過去を持つ登山家クラフト博士が現れる。三人はピッツパリューの南壁を登るが、山頂からの大雪崩に襲われ遭難する。死を待つ三人を勇敢な航空パイロットが救助に向かうのだが・・・
登山シーンのみならず、峻嶮なアルプスの山嶺をかすめ飛ぶ複葉飛行機のアクロバティックでスリリングな映像も衝撃的。航空ファンにもお勧めの映画だ。今回の上映では、1998年に修復されて、ハリウッド映画の作・編曲で有名なアシュレイ・アーウィンが新たに作曲し、オーケストラ演奏が加えられたサウンド版を上映する。

『銀嶺の果て』

(1947 東宝)
1947年に公開された戦後初の山岳映画で、多くの魅力に満ちた超一級のエンターテインメント大作だ。
先ず本作は、三船敏郎の記念すべきデビュー作である。三船敏郎はもともと俳優志望ではなく、知人がいた東宝撮影部に入るつもりで面接に行ったところ、ニューフェイスの試験に回され、憮然とした態度で顰蹙を買ったのだが、たまたま面接を見に来ていた黒澤明が推して補欠合格となり俳優の道に入った。
脚本はその黒澤明が担当。練り上げられたストーリーは滅法面白い。
舞台は冬の北アルプス。3人組みの銀行強盗が雪深い山中に逃げ込み、一人は雪崩に巻き込まれて死んでしまうが、残る野尻(志村喬)と江島(三船敏郎)は山小屋にたどり着く。山小屋には老人とその孫娘、登山家の本田がいた。彼らの純朴な温かさに野尻は心の安らぎを覚えるが、逃げきろうと苛立つ江島は本田を脅して、3人でザイルを組んで雪山を越えようとする・・・
「芸術の黒澤、娯楽の谷口」と謳われて、東宝の娯楽アクションものを中心に活躍した谷口千吉は本作が監督デビュー作。矢口は大学時代から登山に熱中し、日本山岳会会員でもあった。ロケ撮影は穂高と後立山連峰(白馬、八方尾根など)で行われ、美しい白銀の世界と、冬山登山の緊迫感が余すところなく捉えられている。
『銀嶺の果て』はその後の山岳映画の系譜を連綿と受け継いでゆく人脈の起点になった作品としても重要だ。本作で助監督に付いた岡本喜八は『大学の山賊たち』を監督。黒澤明の助監督を務めた杉江敏男は『黒い画集 ある遭難』を監督。同じく黒澤明の助監だった森谷司郎は『八甲田山』、『聖職の碑』を監督。黒澤組での撮影助手がスタートだった木村大作は、谷口千吉監督にも撮影助手で付き、後に『八甲田山』、『聖職の碑』では撮影監督を務めた。音楽を手掛けた伊福部明は『ゴジラ』で有名だが、増村保造監督の山岳映画『氷壁』の音楽も手がけている。

『八甲田山』完全版

(1977 橋本プロ、東宝映画、シナノ企画)
公開から37年経った今も、「天は我々を見放した!」という絶叫が忘れられない人は多いのではないか。
210名中199名が遭難死した、世界山岳史上最悪とも言われる遭難事件を題材に書かれた新田次郎の小説、『八甲田山死の彷徨』を豪華スターの競演で映画化。製作費7億円(当時)という破格の超大作だ。
日露開戦目前の明治35年1月、日本陸軍は寒地での装備・行軍を実地で検証するために、白い地獄といわれる厳冬期の八甲田山での演習を企図。神田大尉(北大路欣也)率いる青森第5連隊と、徳島大尉(高倉健)率いる弘前第31連隊の二隊が雪中行軍に挑むことになる。其々の駐屯地から出発した二隊は八甲田山ですれ違う筈だったが・・・
撮影には実に3年の歳月が費やされた。雪中行軍のロケ撮影は実際に厳冬期の八甲田山、そして同じ青森県の岩木山で行われ、その苛酷さは逃げ出す俳優も出たほどであった。狂気に似た映画屋の執念がフィルムに焼きつけた酷寒の地獄絵図は、圧倒的な迫力で迫る。
監督・森谷司郎、撮影・木村大作のコンビは翌年の『聖職の碑』へと続き、木村大作カメラマンはやがて監督として『剱岳 点の記』を撮り、日本の山岳映画を背負う存在となる。
昭和55年公開当時のチラシ・ポスターでは、“八甲田で見た事は、一切、喋ってはならぬ”という宣伝コピーが使われたが、このセリフが入ったシーンは実は当時の公開版には無い。高倉健演じる徳島大尉のこの重要なセリフは、上映時間を短くするためシーンごとカットされたのだ。今回は、公開時にカットされたそのシーンを復元した“完全版”をニュープリントの35mmフィルムで上映する。

 

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